新聞を手に取り求人広告を見ると、「応募は35歳まで」と書いてある。芸能欄はどうか。「黒木瞳(49)」、ここにも名前の横に年齢が並ぶ。え~、あの美人女優がもうすぐ50歳! なんて、驚いていてもしょうがない。詐欺で捕まった犯人も、「○○容疑者○○歳」とわざわざ年齢つきで取り上げられる。もう右も左も年齢のオンパレードである。これって、日本特有の現象?!
本屋に目を向けてみよう。35歳までにやらなきゃならないこと? 40歳から伸びる人だって? 28歳のリアルって何だ?ここでも、また年齢、年齢、年齢。正直ワケがわからない!世の中に生まれたら、「35歳までには必ずこれをやれ」といわれても、なんだか余計なお世話だとは思わないだろうか。人には成長のスピードがあって、全員同じである必要もない。とすれば、これらの本のタイトルは何だ? 「最低限、これだけはやれよ」、というメッセージだとすると、これらの本のターゲットはその最低限にも届かない意識の持ち主ということになるわけで、本が売れることをもくろむ編集者がそうしたタイトルをつけるなんて、なんとも世間の読者をバカにしているような気もするがいかがなものだろうか。
ただ「35歳前後のあなた!」と名指しされると、自信が足りず、基本的に謙虚な性格の持ち主であれば、つい気になって本を買ってしまう。これはまさに、そこまで読者の心理を見抜いて本のタイトルを決めた編集者の一本勝ちなのだろう。どちらにしても、日本では本のタイトルに年齢が入った本は無数にあり、いかに日本人が年齢にとらわれているのかがよくわかる。(そういえば以前、若手の初めての転職に対するアドバイスをまとめた本を書いたことがあったが、その時に私の編集者がつけてくれたタイトルもずばり、「25歳からのいい転職悪い転職(大和出版)」。自分の著書の中にも、年齢がキーワードとなるものがあったとは!)
日々の生活でも、年齢が取りざたされることは多い。たとえば女性に年齢を聞くのは失礼だという。確かに年齢の話になると、明らかに不快そうな顔をする女性が多いような気もする。世の男性の多くは、女性の年齢嫌いを半ば冗談だと思っているため、平気で年齢を聞いたりするが、裏ではそれがセクハラだのパワハラだの言われているから注意が必要だ。ただ、なぜ男性に年齢を聞いたら失礼ではないのだろうかと疑問に思うこともある。(年齢よりも老けて見えるなんて言われたら、男も結構傷つくぞ!)
ところで米国では、履歴書に年齢を書く人はほとんどいない。飛び級や社会人学生があたり前である米国では、日本のように22歳前後で一律に大学を卒業するわけでもないため、大学の卒業年度から年齢を類推することもできない。つまり、就職や転職の際に年齢で足を切られることは「差別」であるという共通認識があるため、年齢を書かないことが標準化しているのである。
日本の転職の現場ではどうか。実際、女性の中には日本でも履歴書に生年月日を書かない人がいる。主に外資系で働いてきた女性、海外生活をしてきた女性にその傾向は多いが、明らかに米国の影響があるに違いない。しかし皮肉にも、日本ではそれが標準化されていないため、十中八九、求人企業から問い合わせがある。そしてこんなやり取りがあるのだ。「この女性、何歳かな」「たぶん、卒業年度からみて42、3歳と思います」「そうか、40歳を超えているのなら、今回はご縁がなかったことに」たった2歳、想定年齢よりも年をとっていたというだけで、優秀な人物が簡単に拒絶されることもあるのが、日本の現状だ。ここまでくると、年齢が気になるということを通り越して、確かに年齢による差別なのかもしれない。
では年齢とともに、目に見えて変化するものは何だろうか。そんなとき思い出すのが、街ゆく看板である。「あなたの肌年齢はいくつですか」こんなコピーにドキッとする人もいるに違いない。本当はもう50歳なのに「あなたの肌はまだ30代」といわれれば、飛び上がらんばかりである。ただここで注意。「そんなあなたのみずみずしい肌を維持するなら、この化粧品」というように、ちゃんと売り込みが仕組まれている。その逆はいうまでもない。
「あなたの今の肌は、がんで言えば早期発見の状態。これから一気に肌年齢が進行しないよう、特別なお手入れがお勧め、だからこの化粧品」。ここまで くれば「差別」ではなくて「脅迫」であるが、どちらにしても日本人は意外に「差別」や「脅迫」には寛容な国民である。女性は肌のハリを失うことを気にする が、男性は髪の毛を失うことが気になる。だから、そんな男性を脅迫する商品がないわけでもないが、どちらかといえば、男性のほうが年齢には無頓着なのかも しれない。(そういう自分は、髪の毛がなくなっていくことが結構気になる。)
考えてみれば20年前、自分が大学を卒業した時、同じ年だった あこがれの女性も、確実に20年分の年をとっていて、今も自分と同じ年のはずだ。あまりに当たり前の話だが、年齢というのは同時に経過した年数を示しても いるから、そこに何かを感じることはある。それが思い出だったり、歴史だったり、長い時間があればこそ成し遂げられるものが多いのも確かである。
日 本の文化には、年長者を敬う教えがあるが、これも年齢を意識しているというよりは、やはり時間の経過の中で蓄積された知恵や歴史を前にして、それを大切に したいという気持ちが働くからだろう。一方、屋久島にある樹齢7,000年を超すともいえる縄文杉の木の皮を、記念にはいで自宅に持って帰る日本人がいま だにいることは嘆かわしく、これも世の年長者に敬意を表しない国に日本がなりつつあることと同じ行為なのだろうか。
別に40歳でも42歳で もどちらでもいい。成熟した人、優秀な人、頑張れる人を企業は採用すべきだろうし、日本の社会も、電車の中で年長者に自然と席を譲れる文化をもう一度取り 戻せないだろうか。年齢を気にするのなら、中途半端にしないで、とことんこだわって気にしたらいい。年をとることが楽しく、誇り高い社会であれば、若者た ちも生きる希望をもっと持てるようになるに違いない。
(SOS総務連載より抜粋、加筆修正)
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